若手Aの自分勝手改革論

『ココがヘンだよ学校教育』 一労働者の目線から、学校教育を妄想改革していきます。

番外 若手Aとアドラーが出会うまで 前編

これから採用試験を受けられる方もいることでしょう。

そんな人々にとってWATCHAで200人を前に登壇した先輩方の姿はさぞ眩しかったでしょう。

Twitterでは多くの方に共感していただき、あのような舞台を経験させていただいた私も、軸ができあがるまでは本当に苦しい日々でした。

教員の仕事に価値を見出だせない、子どもがいる間にトイレで吐く、泣く、嗚咽する。横柄なナメック星人にもそんな時期があったことを知っていただき、改めて教員の仕事に素晴らしさ。『教員の再魅力化』に貢献していけたらいいなあと思ったので書きます。












2011年、若手Aは採用試験に落ちました。
2012年度、講師としてとある自治体に4月より採用が決まりました。特別支援級担任です。

担任を任されたのは2年生の女の子2人、3年生の女の子と男の子。
希望に溢れ出勤した私を待っていたのはベテランの先生2人のよそよそしい?やや冷ややかな反応。私に対する敵意というよりは何か申し訳なさそうに接してくる。

ちょっと「怖いなあ」と思いつつ、講師仲間とご飯。
主任40代主幹教諭女性、百戦錬磨の50代ベテラン女性、22歳新卒講師女性、私という学年構成。
先輩方の講師の女性への態度と私への態度が違うことが気になったが、事務仕事やら引き継ぎやらで始業式がはじまる。

開始してすぐに、その違和感はわかった。
私の担任する2年生の女の子。発達障害を抱えた子だったのだが、共感性に乏しく感情の起伏が激しい子で暴言、泣きわめきで酷く支援級でもやりたい放題になっているらしい。B子としよう。
昨年度は主任が担任、実態を話し支援方法を講じると保護者が激高し、訴える訴えないまで事態が発展。結局1年間、全く指導することができずに好き放題している子だったという。

後から聞いた話だが、勤務校では私を「生け贄」と称していたそうで、主任も憔悴し療育休暇一歩手前、ベテラン50代もクセのある人で「私は絶対に担任しないわよ」の一点張りだったそうで、そんなこともあり支援級希望者はいなかったそうだ。

そこで「男の先生ならひょっとしたらうまくやるのではないか」と、苦肉の策ともいえないような理由で新卒講師特別支援免許なしの私が担任をすることになった。

私は本で読んだり、大学で勉強したなけなしの知識を引っ張り出してきてその子と向き合った。
とにかくよく褒めた。片付けや友だちとのかかわりで何かあればとにかく諭すようにその子を良い方に変えてあげようと頑張った。

その結果、5月。
その子は私のことを呼び捨てるようになった。
顔を合わせる度に、キモい、ウザイ、クサい、気分が悪い、嫌な奴が来た、○○先生の方がいい、何で私はこんなやつのクラスなんだ。
顔を合わせる度に飛んでくる暴言。
教室にも給食を食べる以外で行こうとしない。
誰も嫌なことをいわない、自由気ままに振る舞える空間、支援級の学習室。
私は心が折れて、朝の会の参加を促すのをやめて、とうとうB子を学習室に放置した。

50代ベテランに怒鳴られる。
「あんたなんか先生じゃない、呼び捨てされて当然」
主任も続く
「子どもから逃げているんじゃないか」

仰有っていることは最もだが私の心を折るには十分すぎる出来事だった。

7月、突然自分の中で何かがプツッとキレた。

恫喝

B子に怒鳴り散らした挙げ句
校長室に逃亡

「僕は仕事を続けていく自信がなくなりました」

校長先生は一先ず3年生の教室で他の子を支援するように指示。B子の支援は他の担任の協力が得られないため、校長先生が一緒に見てくれることになった。

この時の校長先生には本当に感謝している。この対応がなかったら私は今頃路頭に迷っていただろう。

保護者にも校長先生が自ら赴いて、うまく取り繕ってくれた。

夏休み、何とか1学期を乗りきった。
が、正直2学期を乗りきれる自信もない。 日々子どもから罵倒され、先輩から叱責され、保護者に怯える日々が続き、いつ辞めようか、今日は頑張ろう。の繰り返しだった。

8月、そんな私に転機が訪れる。