若手Aの自分勝手改革論

『ココがヘンだよ学校教育』 一労働者の目線から、学校教育を妄想改革していきます。

022 妄想!!勝手に教育改革!!

ついに日本の教育に着手します。

設定は教育改革が起きて、色々な大人の思惑がぶつかりあった結果、若手Aが文部科学大臣になったという感じで読んでみてください。
ちなみに総理大臣を中心になぜか閣僚に絶大な信頼を私の言ったことは全て現実になる設定です。

かなり思いきった教育改革を進めていきたいと思いますので、どうかご一読ください。

さあ、独裁的革命の時間です!

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まずは現在の公立小学校教育の問題点

【子どものとっての問題点】

・拘束時間が長い。
・自主性が軽視され、規律が重視されるため思考が奪われる。
・委員会や行事などで学習時間が削られる。
自治体、学校あるいは担任の教員によって受けられる教育の質が大きく違う。
・保護者の意向により適切な教育が受けられないケースがある。
・大人の目のない場所で放置される時間が長い。


【教員にとっての問題点】
・当たり前のように過労死ラインを越える労働時間。
・適正な賃金が払われていない。
・自ら進んでスキルアップできる時間がない。
・一律にやり方を制限されるマニュアルに沿ったファミレス型研修によって裁量が奪われる。
・保護者や管理職よりも立場が弱いため、時に不当な理由で叱責されるリスクが高い。
・授業の準備や採点などをする時間がない。
限界集落化、慢性的な人員不足。


【保護者にとっての問題点】
・PTA活動などで不当に時間が奪われる。
・子どもと過ごす時間が少ない。
・意味のない紙媒体でのやりとりを強いられる。
・学校が本音でぶつかってこないので、時に勘違いしたまま子育てをしてしまう恐れがある。



今、思い付く限りでもこれだけあります。
全ては網羅できないまでも、少しずつ紐解いていきましょう。

もちろん予算は大幅増です。
私の言うことは絶対なので、全会一致で教育予算大幅増が決まりました。














【改革1】 人員拡大!!免許法の改正!!

まず小学校に三種免許を導入します。
教員になるまでには、大学に入学し小学校教員の一種免許あるいは二種免許を取得しなければいけません。その上、更新しなければいけません。

まずは『免許更新を廃止』します。
しかし更新規模者は更新料は支払います。
これは本音と建前の問題ですので、結局は教員から金を搾り取りたいがためにこういう理由をつけてやっているわけですから、時間だけでも返してもらいましょう。

三種免許については、塾講師のアルバイトをイメージしていただきたい。
○○ゼミナール、○○義塾をはじめとする大手の予備校は全員ではありませんが優秀なアルバイトに支えられている部分もあります。
教員は聖職者だ!!なんて何十年も前は言われておりましたが、今は二人に一人の割合でなれるわけです。特別でも何でもありません。
ただし、興味があっても教員免許の取得という高いハードルがなければなることができないのが教員です。なり手がいないのに選別している。これはもう意味がわかりません。

なので、小学校三種免許を導入します。
これは各学校が決められた枚数だけ1年限定で発行することができます。簡単な筆記試験と面接試験で合格すれば働くことができます。
いわばアルバイトです。
授業を担当することや、教育活動に携わることはできませんが日直業務や配布物の整理、清掃や各種書類の整理、電話担当、コピー事務、教材の作成や業者への発注、各教室への運搬、登下校の見守り、校外学習の引率、備品管理、修繕、体育のライン引き、ワークシート作成、教科書の管理、ゴミ捨て、飲み会の幹事などを行うことができます。
また希望があれば学生ボランティアやインターンと同様に授業の補助なども行うことができます。

大学卒業して就活失敗した、前の会社で上手く行かなかった。でも、教員の仕事ちょっと興味あるな。なんて人たちが時給、シフト制で気軽に働くことができます。
希望があればクラスで給食を食べたり、することもできます。ここで教員いいなって思ってくれれば教員のなり手も増えますし。合わないなと思えば、ここで引き下がれるわけですから離職率も下がります。

通称『学校アルバイト制度』です。
多忙な中、善意を盾に不当に保護者や教員の労働力を搾取するPTA活動や校務文掌ではなく、きちんと正当なお金を払って仕事をお願いすることが当たり前の世の中になってほしいものです。



【改革2】学年は学級担任+副担任1、3年生以上音楽家庭科は別枠専科、児童指導主任創設

学年には必ず学級数+1の人員を置かなければいけない。また1クラスの人数の1、2年生は30人、3~6年生35人に上限を設定する。

初任者は2~4年の副担任に配属する。
5~6年は副担任に加え、中学校の講師を希望しているが中学校に枠がないという人を副担任に配属する。中学校は小学校に比べ、採用倍率が高く教科によっては講師の声がかからない場合も多いという現状もある。そういった人にとってもスキルアップの場にもなるし、子どもたちにとっても専門性の高い授業を受けることができるメリットがある。
1年生の副担任には再任用枠をあてる。
はじめて子どもを小学校に通わせる保護者の相談窓口も兼ねる。担任↔保護者の関係にワンクッションあることで互いに安心感を持つことができるだろう。

小学校といっても5、6年が荒れるケースがある。
また、そういった子たちは結局進学した中学校で悪い方向に活躍してしまうケースもあるので、一人分人員を増やす経費をケチるよりは、小学校段階から中学校の生徒指導担当的ポジションの先生は必要だろう。

また、低学年担任が週1コマ高学年の兄弟学級の授業を受け持つ。低学年ばかりもっている先生が「低学年しかできない」なんて揶揄されるような職員室はあってはならないと思う。
高学年担任へのハードルを下げる、または業務の均等化を図ることによって、高学年を希望する教員が増えることで、高学年ばかり担任している先生も低学年でその大変さを知れるとよい。
そうすれば「低学年は楽、高学年は難しい」と言った謎の風潮もなくなり職員室の風通しも良くなるだろう。

またアメとムチだが、初任者は試用期間の1年間は実家暮らしあるいは教員住宅に住む場合は賞与はなし。8時より前に来てはいけない、17時には退勤しなければいけない。という厳しいルールのもと管理される。

また生徒指導主任は教務主任と双璧を成す学校のNo.3という位置づけとします。
担任という地位にあぐらをかいて誠実に子どもと接していないなど、学級経営など職務執行に怠慢が見られる場合は管理職に報告します。
担任が楽になるわけではありません、負担が軽くなる分、職務専念に気を引きしめなければいけません。

また、毎日を学校公開日にします。
保護者にはIDを配布し、事前にメーリスに連絡を入れ承認されれば好きな時間に教室を参観することができます。



【改革3】教育課程大幅編成

外国語の導入、道徳化。
500mlのペットボトルに600mlの水を注いではこぼれている部分を見なかったことにして「まだ入るじゃないか」と愚かなことは即時廃止します。

外国語は3~6年まで年間35時間、道徳は教科化に伴い年間12時間に縮小。
総合的な学習の時間を廃止、代わりに年90間時間情報科を導入。
エクセルやワード、パワーポイントなどの使い方やプレゼン。資料の作成。プログラミングをはじめとしたLINE、instagramなどのSNSの使い方、スマートフォンの仕組みや情報ツールを使った調べ学習、動画の作成や編集、テクノロジーに関わる科学技術の知識などを学び、知識基盤社会とこれから来るテクノロジーの時代への対応を目的としたキャリア教育への礎を築く。道徳の時数減は軽視しているわけではなく、情報科との合科的プログラムを行うことも前提とされている。

学校行事で時数を取れるのは年間35時間と厳密に規定。運動会の練習を体育で取ったり、学習発表会の練習を音楽で取ったりすることは違法とする。
少しでも行事にかかわる内容をその時間の中で行うのであれば、行事で取らなければいけない。違反が発覚した場合は校長の給料が半分になる。
行事の時数を取る場合は校長の許可が必要。

5年生以上の図画工作と体育の時数を減
中学校同様、選択科目としてどちらかを選ぶ時間を1時間設けます。

1年生の生活の時間を増
これまで曖昧になっていた、4月当初の給食指導や下校指導、トイレの使い方や、掃除の仕方、教科書の置き方や連絡帳を書く時間を生活科としてきちんと確保する。
毎年やっているし、絶対に必要なのに何故か明文化されないところは本当に雑だと思う。週案とかきちんとつけさせて時数管理をするのであれば、こういうところも統一すべきであると思う。

体育は年間8時間減
記録的猛暑のため、安全性の確保のため7月及び8月は体育の実施を禁止とする。
また、水泳学習をカリキュラムから外す。
教育的効果は見込める単元だが、投下する予算や労働力があまりにも多すぎる。
デメリットも非常に多いので断腸の思いだが、改革とはそういうもの。大きな損失なくして成功は掴めない。



【改革4 校務文掌 歩合制】

働いた分だけの賃金が貰えない。
やって当たり前、やらないやつは怠け者。
公立学校のこういうところが職員のやる気を削ぎ生産性を下げているのだと思う。

小学校教員の給特法を廃止します。
その代わり、前述の学校アルバイト制度、児童指導主任制度、教育課程改革でかなりの業務精選はできているはずです。

それでも学年主任、教化主任、運動会主任などはその仕事の特性上教員がやるしかないのです。また校内研究などもあります。
そこで、給特法廃止で浮いたお金をそういった仕事を頑張った人たちに手当てとして渡します。

職員室はギスギスしています。
あの人は働かない、この人は何もしない。
それは全て心の底ではできるだけやりたくないと思っている無償労働のせいであります。
そこに賃金が伴うことによって、お金のために引き受ける人、余暇を楽しみたいから引き受けない人もいます。それぞれの仕事に対する考え方が尊重されると良いですよね。

また校内研究は指導案を書く人と、授業者を別に設定するなど一人の授業者に負担がかかりすぎないようにします。また、校内研修の日は学校HPなどに指導案を公開し、希望があれば学区に住む一般の人と参観可能にします。研究競技にも参観可能です。
誰かさんの言葉を借りると「教員ムラ」というものでしょうか。やはりムラの外の意見がないと、我々は凝り固まってしまいますからね。



【改革5 学警連の強化】

近年子どもはいじめによる自殺、教員は過労死など、学校で人が死ぬなんてニュースも耳にします。
事例としてはごく一部ですが、実際に死んだ人以上に「死ぬほど辛い」と思っている人もいるかと思います。

よく聞かれる言葉に保護者は「モンスターペアレント」、教員は「パワハラ」、子どもは「いじめ、中傷、器物破損」など、学校という箱の中ではとても処理できない重大な死に直結するような事件があります。そして、学校は何故か暴力事件が起きても、パワハラがあっても、保護者からの暴言を受けても、警察へ連絡することはほとんどありません。
我慢すること、耐えることが当たり前になっている現状があると思いますが、私は正しいとは思いません。時には学校側がいじめや暴言の事実を隠蔽することもありますし、保護者からの理不尽な罵倒に耐えることもできず退職に追いやられることもあります。このノーガードの殴り合いこそ、本当に不毛です。

なので学校に一人、巡回の駐在警察官を配置します。教員視点ではパワハラを受けた時にも、保護者の言葉や要求が度が過ぎたと感じる時も即時相談することができます。保護者も教員がいじめや暴力に教員が対応しない場合、駐在警察官に直接掛け合うことができます。
また、学校で手に終えない問題行動に関しても、学校内の出来事だからと許されていた現状がありますが、これも法に照らし合わせて厳密に処罰しましょう。厳しいようですが、学校の中でも世の中のルールが適応されるようになっていかなければいけません。学校の治外法権を根絶して、教員にも保護者にも子どもにも世の中のルールが適応されるようになると良いですね。



【改革5 完全消灯制度&その他経費削減】

大幅な人員増で、教育予算が増えました。
ビルドビルドアンドビルドでは、教育効果が破産してしまいます。

水泳、給特法、初任者のボーナスなどで予算の工面はしているが、とてもじゃないけど賄えない。
そこで少しでも経費を捻出する方法をいくつか考えてみた。

1 完全消灯制度
20:00には学校を完全に消灯する。
電気代の削減。

2 夏休みの延長、閉庁日の設定
夏休みを延長し光熱費の削減。
また閉庁日をつくり一切の光熱費がかからない日を設定する。

3 わら半紙の導入
紙をわら半紙にする。

4 学級だよりの電子化
担任がそれぞれ学校HPにblogを開設。
パスワードを保護者に伝えて閲覧。

5 休日の校庭解放の有料化
学校の備品(ネット、ゴール、ダストなど)を使っている以上はその維持費はその団体に支払ってもらうこともできる。

6 広報紙の廃止、掲示物の精選
毎日を公開日に設定することで、広報の必要もなくなり、無駄に掲示物に経費を取られることもない。

7 連絡帳の廃止
メーリスの利用で欠席連絡を手軽に。
未だに紙媒体でのやりとりなんて時代遅れにも甚だしい。





いかがでしたでしょうか。
以上が私の考える教育改革でした。

021 4月から教壇に立つ皆さんへ

3年目。27歳。男。
たいした学歴もなく、たいした功績もない。
職場でも際立った存在でもなければ、大きな迷惑もかけていない。
どこにでもいる凡百が私です。

ただ、私は自分のことを「成功者」だと思います。

理由としては
◽ 仕事を楽しんでいるということ。
◽ 慕ってくれる子どもたちがいるということ。
◽ 保護者や同僚に大きな迷惑をかけていない。

教員としてごくごく当たり前のことで、胸を張るにはあまりにもちっぽけな理由ですが、これまでの人生、何をやってもぱっとしなかった冴えない人間にしては上出来だと思っております。

しかし、今か楽しければいい!
ではなく、成功できた理由を考え、今後のさらなる飛躍につなげていかなければなりません。

4月より新規採用、あるいは講師として現場に出られる先生方の参考に少しでもなればと思い、記事を公開します。













● 成功の理由1 支援級担任の経験

新卒から1年2ヶ月。特別支援級の担任を任せていただいた。2年生、3年生、4年生の子どもたちだった。
特別支援級に在籍する児童は「交流級」と呼ばれる、在籍上とは別に通常級で学習を行うときに共に活動を行うクラスがある。私の場合は3年生の子は殆どの活動を交流級で行う児童で、2年生と4年生の子は技能教科は交流級で行っていた。
そのために述べ3クラス、学級経営や授業などを定期的に見ることができた。

2年の交流級担任は再任用のベテランの女性、3年の交流級担任は初主任の30代前半男性、4年の交流級は2年目23歳男性。

様々な年齢層の先生のあり方を、何となく肌で感じることができた。私はそのお陰で学級経営には多種多様なやり方があり、正解はないということを学ぶことができた。

その数年後に初任者研修を受けた。
ここは、こうした方がいい。こういう場合はこうするべき。色々教わったけれども、その3人の先生は当てはまる部分もあればそうでない部分もある。

学級経営にmustはない。
ただし、目指すべき目的は共通していなければならない。手段を制限され、示された道を辿ろうとすると一気のつまらなくなるし、苦しくなるということが学ぶことができた。

低学年担任になった場合は6校時などを使って色々な学級の先生の在り方を見せてもらうといい。



● 成功の理由2 子どもとの圧倒的会話量

共に勉強した友だちが皆、合格をしていて学級担任として切磋琢磨していたので、当時私にはかなり焦りがあった。

支援級の子どもにも、今とは真逆の接し方をしていて。躾をする。~させる。言うことを聞かせる高圧的な指導に終始していた。
そのため、情緒的に不安がある子に拒絶されてしまった。当時は朝が来るのがたまらなく苦痛だった。
そして子どもを恐怖から避けるようになり、それを先輩に叱責され、精神的にもかなり追い込まれていた。
校長室やトイレで泣いたこともあった。退勤後、目眩に倒れ救急車で搬送されたこともあった。

そんな中で、どうすれば子どもの心がつかめるのか、何故自分は子どもとうまく関係が築けないのか突破口を掴むためにはじめたのが、毎朝、放課後門に立ってあいさつを行った。

支援級という場所から離れて、気軽に子どもたちと会話をするだけの数十分。
その中で、いつしか私の周りに輪ができるようになっていった。

私に足りなかったのはこれで、ベテランの先生のやり方を真似ていればよいわけではなく、22歳には22歳のやり方を自分で考えなければよい関係など築けないということを感じた。

これは私が今日まで出会ってきた多くの新卒初任者~若手に共通することで、変に子どもと距離を取り、先生として振る舞おうとしているのものの、全く上手く立ち振る舞えておらず、子どもに足元をすくわれてしまっている先生が数多くいる。
これは当然のことで、指導教諭の多くがベテランの先生であることで、そのやり方を真似たり、初任研で言われている「~べき」をより強固にしたりする方法を促されるのである。

ただ、私の場合は指導教諭もいない状態で子どもに痛烈なNoを突きつけられたので、この仕事で生き残るために必死に思い付いた方法から突破口を見い出すしかなかったということもあるのだが…。

私はこういった経験から、これから先生になる皆さまには指導教諭や先輩から学ぶことはもちろん大切ではあるが、一番は子どもたちとの関わりから学ぶことが大切だということを伝えたい。



● 成功の理由3 指導教諭の言うことを聞かない!

これだけ言うと、どんなアウトローな奴だと思われるかもしれませんが、この感覚はとても大切です。
私は現に指導教諭に「全然言うことを聞かない生意気な奴」と陰で言われていたらしいですが、それでよかったと思う。

学級経営には多様なやり方があります。22歳の時に主任やベテランの先生の真似っこを何の考えもなしに行い痛烈なNoを突きつけられた経験から、指導教諭のアドバイスに対しても「本当に私がこのやり方でやっても上手くいくのだろうか…」と、疑心暗鬼になっていました。とがっていたわけではなく、指導教諭の先生を見れば見るだけレベルが違いすぎて、同じことをしていても自分の学級は作れないと思ったからだ。

私は方法は全く真似ることはなかったのですが、指導教諭の話から目指す子どもの姿や、その目的に関しては食い入るように聞き学ばせていただいた。

指導教諭の先生はこういう姿を目指して、こういう実践をしている。私がクラスをこの姿に引き上げるには、どういうアレンジをすればいいのか、はたまた別の道を辿った方がいいのか。
言うことを聞くのではなく、自分のクラスに落とし込んで実践をするようになった。

この頃から、様々な学級経営に関する書籍を読むようになった。

指導教諭の言うことを聞いていれば上手くいくなんて、甘いものではありません。自分の人生には自分が責任をもたなければならない。

全員がそういうわけではないが、私の職場には新卒初任で指導教諭のレールに乗っかって成功した人が何名かいるが、常に「~べき」理論をふりかざし、初任者を困らせてしまっている様子も見られる。

色んなやり方があるが、私に関しては指導教諭と違う方法で学級経営を行ったことが自信にもなったし、2年目以降、管理職や主任に大きく評価してもらった一因にもなっていた。正しいとは言わないが、そんな道もあると思ってもらえたら幸い。

語弊がないように言うが、指導教諭と喧嘩をしているわけではない。今でも色々相談に伺うこともあれば、気にかけてくださることもある。私も尊敬している。だけど少しはお前いうこと聞けよ。ってどつかれることがある。聞いていないわけではないのだが…



● 成功の理由4 モチベーションの維持を最優先に

私が仕事を誰よりも楽しんでいる最大の理由としては紛れもなく「地獄からの帰還」であろう。
自分が愛せる子どもたちがそこにいて、自分を愛してくれる子どもたちがそこにいる。
そんな当たり前があることがたまらなく幸せだった。
幸せであることが仕事のモチベーションであるのであれば、幸せであればいいと思った。

私と子どものモチベーションが最も下がる理由はストレスである。子どもたちにストレスをなるべく与えずに力をつける方法を考えること、また自分自身がストレスを感じないように生活習慣や睡眠時間を見直し、毎日同じサイクルで仕事をするようにした。

22歳で失敗した子どもを理想に近付けようとするのではなく、子どものできているところに着目をして対等な関係の中でプラスの事実に目を向けられるように声をかけるようにした。

ある先生には「A先生ってモチベーターだよね」と声をかけていただいたこともある。

またこの頃から生活習慣を見直し、ある程度自分の時間を大切にするようになったこともあり、読書量も増えた。その中でのアドラー心理学との出会いも私の考え方をより強固なものにした。
アドラーを鵜呑みにするのではなく、自分に生かせそうな部分を抽出して考えるようにすることで、大人との関わりがガラリと変わった。
他人が気にならなくなり、ストレスが圧倒的に減った。

仕事が楽しい!と思う気持ちを大切にすることが、成功の理由だと思う。



● 成功の理由5 授業が趣味

これはイチタカ先生の影響を強く受けている部分ではあるのだが、きっかけとなったのは2年目に4年生の担任をしていた時に隣のクラスの初任者に影響を受けたことがきっかけだった。

初任者は授業はお世辞にも上手いとは言えずに、事務仕事や学級の仕事に関しても全くできていない。心配になるような新卒君だったのだが、子どもたちに対してとても紳士で、休み時間や給食の時間はもちろん休みの日も習い事を観に行くなど、とにかく一生懸命で泥臭いタイプの先生だった。
そして子どもたちもそんな先生が大好きで、羨ましいくらいに信頼関係ができていた。

アドラーに心酔しておきながら、やはり人間である以上自分より新卒のそんな姿を見て刺激を受け、自分も頑張らなければと思った。
自分も子どもとの会話量、コミュニケーション量で勝負してきたタイプだが、その先生の天性のセンスには及ばないと感じ、少し悔しい気持ちにもなった。
その時に、思ったのが「授業改善」である。
指導書の内容に沿って授業を流すことに精一杯だった自分を奮い立たせて、読書だけでなく教育ブログを読みあさり、SNSの教員アカウントなんかも開設した。
その時に出会ったのが「インバスケット学習法」や「学び合い」である。
いい授業をすると、子どもたちが楽しんで学べる、そして自分も楽しめるということがわかった。
その半年後にふたせんさん、T先生、イチタカさんと吉祥寺で会合。その辺りから、授業に対する熱量がどんどん増してきた。

授業準備を「やらなければいけないこと」と考えると苦痛であるが、自分が楽しむための趣味にしてしまえばこれはむしろ幸福である。

私は連休、教科書を持ち帰り授業を考えることがたまらなく好きである。



● 成功の理由6 自分のショボさを自覚する

今年度、持ち上がりであるが初の高学年担任になった。6月にいじめの問題が浮上したものの、現時点においてはほぼ沈静化している。
全員ではないが、本当の楽しさが何かということを知り、いじめや差別に何のメリットもないということに多くの子どもたちが気付くことができた。

ここまで持ち直すことができた理由は一つ
多くの先生に支えてもらったからだ。
早期発見できたものの、やはりこうなる兆候を予知できなかった責任、悔しさ、悲しさで精神的に厳しい時期もあったが、目的論に基づいてすぐに管理職、学年主任、専科、児童指導担当を巻き込んで策を練った。

この判断ができずに、楽観的に考えていたら今頃私はこの仕事を続けていなかっただろうと思う。

また、指導後に学級を建て直すために、心理学や精神科医の執筆する本、成功した経営者の著書を読んだり、SNSで助言を求めたり、できる限りの策は全て打ってきた。

考えられる、起こり得る最悪を想定して、自分以外の人間の力を積極的に借り、最終的には自分が判断し選択する。
小さな不安分子や、不安要素は必ず近くの人に相談するようにする。でも、鵜呑みにはせずに、その中でのベストを自分の責任をもって選択する。

自分のショボさは自覚する。
でもそれを口に出して言うと、どんどん自信がそぎおとされてしまうので、口に出す言葉は自分に関することも、他人に対することも前向きであってもいい。
例えそれが傲慢な若造だと思われても、私はその方がいいと思う。



● 成功の理由7 人を憎まずシステムを憎む

職員室は悪口の温床である。
同僚に関する悪口、子どもに関する悪口、保護者に対する悪口。

ただ、悪口を職員室で吐くということは、自分の器の小ささを公にしているのと同じことである。

子どもに対しても同じだ。
子どもが上手く動かないことを子どものせいにしても、何もよい方向に向かない。

あらゆるストレスは人間によって産み出されるのではなく、システムによって産み出される。

逆に言うと子どもが時間を守れなかったり、宿題をやらなかったり、掃除をサボったりするのも、それをメリットだと思えるようなシステムが構築されていないにもかかわらず機械的に行動を求められている側面があるからなのだと思う。

ティール組織における
「衝動型」、「順応型」の組織では、責任の所在は人間に向けられる。ただ、今の時代教員に向けられる厳しい目がある。子どもを動かすだけの賞罰を与える権利がない以上「衝動型」、「順応型」の組織の形成は構成年齢が高ければ高いほど難しくなってくる。

人を憎めばストレスを溜める
悪口を言えば信頼を失う

人のせいにして、悪口をいうよりも
システムの整備に時間と労力を使ったことが、クラス円満の秘訣なのではないかと思う。

ただ、私は弱い人間なのでTwitterを使って毒を吐くことで自我を保っている。





雑な記事になりましたが。
事実として、何の才能も実績もないにもかかわらず、仕事を楽しむことができている若手Aの考える成功の理由を詰め込んでみました。

参考までにどうぞ。でも鵜呑みにしないでくださいね。

020 考察!!いじめに対する指導

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全国の先生方、お疲れさまでした。4月から数えて丁度6ヶ月が経とうとしています。
学級経営はいかがでしょうか。

さて、今日は学校教育と切っても切れないいじめについての問題を論じていきたいと思います。
Twitterにも連日のように発信しているように、いじめの問題について、私は日々ベストを尽くせるように様々な方法をもって考えています。

ベストと言える思考にたどり着くまでに何年かかるかわかりませんが、今私が考えるいじめの問題の現状と問題点、そして解決策について論じていきたいと思います。













● いじめの現状について

現在、日本の学校教育では30万件以上のいじめ案件が報告されていると言います。報告されていないものを含めるとさらに膨大な件数になるでしょう。
また、児童生徒学生に限らず、教職員を取り巻くいじめが存在するのも事実です。

封建制度」、「士農工商」。日本人は長らく厳格な身分制度によって国の基盤を確固たるものにしてきました。江戸時代などは身分制のもと200年以上も続いた訳です。
落合陽一さんの著書の中でも触れられているように、日本人は身分制度を前提とした生活の方が楽なのでしょう。部活動の上下関係なんかはその典型ですね。大人に強いられることもなく、自然とそのような関係におさまっていく。

スケールカーストという言葉があります。意図せず身分制にすがる大人の世界を見て、子どもは真似ます。子どものいじめを助長しているのは間違いなく我々大人なのだと思います。

身分制度がマッチした国民性にもかかわらず、公正平等が絶対正義と教えられているがために、非公式な風潮や空気を作り出すことによって自分にとって心地よい身分制度を仮想して生活している。その仮想を共有することで生まれたカーストの中で、よりよい自分が目指せない、行き詰まった人間が次に取る手段が他者を蹴落とし、自分より下を作ることで自分の存在に安心感をもつ。これが私の考えるいじめの構造です。






● 指導における2つの視点

いじめを指導するにあたり、もたなければいけない視点は2つあると考えます。そしてそれは担任あるいは指導者の中で切り離して考える、相互性をもたせてはいけないものであるとも考えます。



1.主観的思考

子どもたちと共に一緒に過ごす仲間として、クラスの一員としての考え方です。
いわゆるよく言われる
「いじめは絶対に許さない!!」、「いじめる側が100%悪い!!」といった言葉に象徴させる考え方です。
教員以前に人として持ち合わせているはずの感覚、人権意識の大前提です。

しかし、そう思っていても誰も救えません。




2 客観的思考

いじめ指導の一番の目的は加害者を懲らしめることではありません。学園ドラマや漫画では加害者が懲らしめられて大団円のような展開が多く見られますが、その影響もあってかいかに加害者を懲らしめるかと目的がすり変えて考えてしまう方も少なくありません。

しかし、やはり絶対的にぶれてはいけないのは被害者を守ることではないかと思います。

被害者を守るためにあらゆる角度からその瞬間瞬間のベストな判断をする。それをするために、あらゆる原因を客観的に追求することも大切です。
主観的には当然、加害者側が悪い場合においても、被害者の危機回避行動によって傷つけられることを防げることもあります。

「いじめられる側にも原因がある」

日本人はこの言葉に対してアレルギーをもっています。しかし、この"原因"という言葉に対して、深く考えたことはあるのでしょうか。
"原因"というのは、悪い状態を引き起こすにあたった事柄や事実である。誤用ではないと思います。
気圧や転校、路上に落ちている小さな石ころすらもいじめの"原因"になり得ます。
"原因"は引き起こした状態が悪ければ当てはまるものであり"原因"とされているものが善であるか悪であるかは問いませんし、その土俵にはありません。

この言葉に引っ掛かって、必死に1を説いてくる人がたくさんいます。私は残念ながらバイアスに支配されて本質が見えていない残念な人だなあという風に見てしまいます。

はっきり言わせてください。
「浅い」です。

善悪という一元的な簡単な倫理観で解決できるほど簡単な問題であれば、全国に30万件もいじめが発生したり、自殺をしたりする人間が出るわけないのです。

"原因"は本人に指摘するわけではありません。
指導の情報の一つとしてこちらで把握しておくのです。いじめの指導は人の命にかかわる重大案件です。安易な感情論的指導が事態を悪化させることも少なくありません。

いじめの原因はあらゆるところに転がっています。

加害者、被害者、傍観者、観衆。
それぞれの立場が事態を引き起こした原因についてどのように考え、結果どのような変化を引き起こしたのか分析するところがスタートだと私は考えています。






● 被害者を傷つけない、二次災害を防ぐために

よく、いじめの報告を受け、よく考えないうちに当該児童生徒を呼び出し頭ごなしに叱りつける例があります。

称賛されることもありますが、これは大変危険だと思います。称賛している層は目的が我々とは違います。被害者を守ろうなどとこれっぽっちも思っていない。

まずは勇気をもって報告してくれた子を守る細心の注意を払わなければいけません。また、その指導の結果、教員のいないところでいじめがエスカレートする可能性も視野にいれておかなければいけません。

目的は臭いものに蓋をするのではなく、被害者を守ることです。加害者側が「やめよう」と決断しない限りいじめは続きます。
担任が被害者にはりついて生活するわけにはいかない以上は、先の見通しのない正義感だけを売りにした指導は危険極まりないと思います。





● いじめは 個と個 のかかわりの複合

ここからは私のクラスの実践を例に挙げます。
私のクラスでは夏休み前にいじめがありました。

発覚してから指導を入れるまでは念入りに根回しをしました。



1.複数教員での対応

私は事実がわかってすぐに管理職、学年主任、専科に報告を入れました。しかし、聞いた話レベルでは信憑性にかけ、しらを切られてしまう可能性があったので、まずは被害者を守る。極力教室を空けないようにする、孤立を感じさせないように交流活動を減らし座学を増やすなどの対応をしました。
また、他の子への聞き取りなどなら、現状把握をさらに確固たるものにしました。
発覚から一週間、指導を行いました。
学年会で話題を共有しどのように指導をするのかを皆で考えました。
情報が明確であればあるほど、加害者に認めさせることができます。加害者が認めること以外が証拠になり得ないのが学校教育の難しいところなので、いかに情報を収集するかが大切になります。




2.指導に満足をしない。

押し付ける指導ではなく、あくまで「本当にこのままでいいの?」。と、カウンセリングマインドに基づいた指導が求められます。
ここで「いじめはよくない」、「絶対に許さない」と、主観的指導に終始すると「担任に怒られたくないからいじめをしない」→「担任がいないところでやろう」と、加害者の心の腐敗は止まりません。

私の場合は「私はとても悲しい、深く傷ついている」、「私は君たちのしていることを許すことはできない」と伝えました。
これは、アイメッセージといって、一般論や常識でマウントを取るのではなく、あくまで担任一個人がどう思うかを示すものであることで、子どもに考えを押し付けない上で非常に重要だと支援級の主任が教えてくれました(協力大切です)。

また私は被害者に「謝らせない」ことも大切だと思います。先生に怒られた→謝っておしまい。
いじめはこんなに軽い問題ではありません。
してしまったことを一生背負わなければいけません。謝るのは簡単ですが、本当に自分を見直していかなければいけないのであれば、明日から変わらなければいけない。
その一歩を自分から歩めなければ、加害者は一生、差別という沼の中で沈むことに怯えながら過ごさなければいけません。
「本当に悪いと思っているのなら、明日から少しでも自分の行動で示してください。期待しています。」
児童指導担当からいじめをして、なおも期待を示すことも大切だと学びました。
担任が加害者児童とも個として繋がることで、指導支援をし続けることが大切なんだと思います。




3.いじめの問題を終わらせない

一度根付いたいじめの根は、なかなか枯れません。
加害者達を指導し、中には不満を持ちながら、中には本当に反省しいじめをやめる、いややめたと思っている子どもたちもいると思います。

しかし、その子たちがいじめた当該の子と普通のコミュニケーションを取れていない状態をいじめの解決と言って良いのでしょうか。

私はいじめの終焉は
いじめの被害者が全員と普通のコミュニケーションを取ることができることだと思っています。
好き嫌いがあっても、教育活動の中では協力も必須ですし、会話をしないと連携が取れない部分もあると思います。

いじめをやめさせた場合

被害者は攻撃を受けなくなりますが、逆に友だちとかかわりながら勉強をしたり、他愛もない会話をしたりする権利の復帰に支障をきたします。

攻撃をしなければいいんでしょ。
加害者は今度は空気で殺しにかかります。

でもいじめはしていませんよ。どうですか?
友だちがいないのは自己責任ですよ。

こうなると担任が指導をしていくことが難しいです。

よっぽど元々のいじめが根深く、改善が難しいようであるならば「攻撃を受けない」がゴールの一つにもなり得るんでしょうけど。
私はいじめを全員で乗り越えて、被害者と加害者が最後は手を取り合う理想的構図への可能性は残しておきたいと考えています。






ここまでのおおまかな流れとしては

① 善悪を超越し、目的に沿った情報収集
② いじめをやめさせるのではなく、やめたくなるような指導
③ いじめの終焉は攻撃の終了ではない。

といったところでしょう。








● 加害者の「恩赦」を奨励する

今の司法制度についてはよくわからないのですが、かつて日本には「恩赦」という制度が存在するとのことでした。

るろうに剣心」では、明治政府の転覆を狙った志々雄真実の側近であった十本刀のメンバーが罪を帳消しにする変わりに明治政府の要人として尽くす描写がありました。
全員ではありません、受け入れるかどうかは人によってでした。

しかし、私のイメージでは実際の「恩赦」のように、能力を買っていじめを許す、というわけではありません。
ドラゴンボール」でいう「ピッコロ・べジータ理論」です。

まずは、いじめの指導を行ってからの経過観察です。うちのクラスでは三通りのパターンがありました。

パターンA群
被害者に対して頑張って普通に接しようとするものの、罪悪感からか上手く関われない。

パターンB群
完全に距離を置く。

パターンC群
コソコソ隠れて差別を続ける。


いじめの構図として考えられるのは
Bの子と被害者の対立。これは互いに原因もあるのでしょう。しかしBの子が仲良しのA群の子たちにあることないこと悪評を吹き込み、それを信じたA群の子たちが数の暴力で距離を置いたり冷たく接したりしていくうちに、周りの子が空気を感じとり傍観や観衆に成り下がるというものです。

善悪を超越した原因の分析により、被害者と個々のかかわりについて担任が把握しているということがここで重要になってきます。

私はA群の子達を呼びます。
そして「あれから、自分達なりに変わろうという意思が見える気がするけど、何か意識してるの?」など話を聞きます。
「君たちの力がプラスの方向に働くとクラスもまとまっていくよね」など、今度はアイメッセージでらなく客観的視点を伝え、貢献感を満たします。
そこで「でも、まだ陰でコソコソ差別をしている人がいて悲しい。君たちはどう思う」と意見を求めつつ、一緒に解決としていこうと前向きな言葉で締めくくります。

A群か塊で被害者だった子と進んでコミュニケーションを取るようになると、傍観者や観衆も変わります。この層の子たちは空気に敏感です。また、いじめたくて被害者の子を差別していたわけではないので、良いか悪いかは別として潮の流れが変われば何事もなかったかのように普通のコミュニケーションを取るようになります。

増え鬼方式で協力者が増えると、小さな密告者も増えてきます。

傍観者や観衆にも様々な種類がいます。良くも悪くもずる賢い子は前述の通りに振る舞いを変えますが、中には差別という甘い密に取り残されてしまう子もいます。また、そのいじめを再燃させ自分のポジションを確立させようと観衆から加害者に名乗りを挙げるような子も出てきます。

そこで頼りになるのがピッコロ、べジータです。

悟空がコミックス15巻でピッコロに止めをさしていたら、ラディッツ襲来で地球は滅ぼされていたことでしょう。

いじめの問題にはチームで取り組みます。
でも、チームとは大人の繋がりだけではありません。子どもたちもチームです。

いじめの目的は一貫して「被害者を守ること」です。「加害者を懲らしめる」ことではありません。

最後にC群です。
この段階まで来ると、C群に残る子達は限定されてきます。これまでのクラスでは叱られてばかりだった子、自分に自信がない子、コンプレックスがある子です。あまり多くはありません。

それぞれの子たちを個別に呼んで叱ります。
潮の流れが変わった状態では、彼らも無力です。
最後の雑草抜きのようなものでしょう。
叱ることがベストではないと思いますが、今度はこの子らが孤立してしまわぬ前に、やめさせます。

このC群は申し訳ないことに、またいずれ人を変えて同じことを繰り返すでしょう。
が、いじめの指導の最大の目的は一貫して「被害者を守る」ことです。

しかし、そこまでフォローするのが教育。
そのあたりのことはゆくゆく考えていきます。







● いじめの問題は単純ではない


私のクラスのいじめは潮目が変わりました。
多くの人の協力を得たこと、一貫して「被害者を救う」ことだけを目的に突き進んだとこ、そしてクラスの子どもたちを信じたことが要因でした。

特定の危険性もあるので記述はしませんが、その他にも様々な取り組みを行い。私自身も数限りない著書を読み漁り、人にも会いに行きました。

悔しくて眠れない夜もありました。
いじめに苦しむこの子とを考えると、食事が喉を通らないこともありました。

でもだからこそ、まだゴールではありませんが乗り越えるための一歩をみんなで踏み出せたのだと思います。

いじめの問題は単純ではありません。

今後Twitterでのいじめに関する考え方の発信は一切控えようと思います。だからこそ、ここにまとめさせていただきました。

理由としては論ずるに値しない残念な反論か多く、悲しい気持ちになるからです。

「いじめられている側に原因があるなんて、それでも教師か」
「どうせ、上部だけの対応で終わらせている」
「いじめの被害者に原因はありません、いじめる方が100%悪いにきまっています」
「やっぱりいじめられている子がいなくなればいいのにって思っているんですか」
「いいから加害者を叱ってください」

私は、この思想こそがいじめという火に注がれる油であると考えています。

自分にとって大切な人がいじめられていて、それを守ろうとしない人がいるのだろうか。

019 ポケモンDPから学ぶ多様性の定義 Part2

前回の続きです。

ポケモンとの絆や信頼関係を大切にする。ポケモン一匹一匹と代替不能な普遍的関係性をもつ中で最強を目指すティール組織的トレーナー、サトシ。

ポケモンを手駒として割り切り、実践を通し選抜を繰り返すことで精錬された最強を目指すトレーナー、シンジ。

そんなシンジに捨てられたヒコザル
そんなヒコザルを受け入れたサトシ。

シンジの元で厳しいトレーニングを課されてきたヒコザルは、サトシとポケモンたちの楽しいランチタイムになかなか馴染むことができませんでした。

そしてその後、バトルの練習。
ヒコザルポッチャマと練習バトルをするのですが、健闘虚しく負けてしまいます。
シンジはバトルに負けた時にヒコザルを激しく叱責しました。しかし、サトシは負けたヒコザルを抱き締めました。

「よくやったなヒコザル

そんなサトシの優しさにヒコザルは思わず泣き出してしまいます。

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夜、過去の悪夢にうなされ、一人目を覚ますヒコザル

まるで強豪校をやめて、地方の公立に編入した野球部員のようです。

本当に自分はこれでよかったのか、悩むヒコザルの話し相手になったのはコイツでした。

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ロケット団の3人は陰ながら不遇のヒコザルに心を痛めていました。

「過去を捨て、今を生きるのニャ」

こうしてヒコザルはサトシのポケモンになりました。








その後もサトシとシンジは随所で接触します。

色々ありましたが象徴的な出来事を抜粋します。

街を荒らしていたグライオン率いるグライガーの群れが二人の前に現れました。

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シンジは迷わず群れのボスであるグライオンに目をつけてゲットします。
サトシは、群れの中でいつも食べ物に目を奪われたり、一人でどこかに行ってしまうようなADHD的なグライガーをゲットします。

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一方、シンジは尊敬していた兄レイジが勝てなかったジンダイというレジェンドトレーナーに過去にサトシが勝ったことがあるということを聞きます。

また自分が弱いと値踏みしたムックルグライガーヒコザルを成長させているサトシに対して嫌いで気に入らないという感情以上に気になって仕方ないという状況に陥っていきます。

シンジはサトシど同様に様々な地方のポケモンリーグに参加していたが、思ったような結果が出ずに焦っていたようです。
ジンダイや、兄レイジの助言を受け、焦りが消えたシンジはサトシを見下した物言いをするのをやめました。

そんな中でサトシとも親交のあるレイジから提案が「そんなにお互い気になってるならフルバトルしちゃえよ」
そんなことでフルバトルを行いました。

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結果はシンジが終始圧倒。
絶体絶命のサトシ。

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そんなサトシを救ったのはヒコザル
ヒコザルが進化してモウカザルになりました。

でも負けました。

モウカザルの躍動も4点ビハインドの9回にソロホームランを打った程度の反撃にとどまりました。

これはいい展開だと思いました。
いやー、勝たないんだ!
それも接戦ではなく、シンジの圧勝。

しかし精神的に一つ壁を乗り越えたシンジはサトシを見下すようなことはしません。
自分と違うやり方の人間を圧倒した。
それでもシンジは何も言いません。
サトシは悔しさを噛み締めます。

やり方、考え方の違う二人はこの瞬間、本当のライバルになりました。

大人の世界だったら
「ほら、お前のやりかた間違っているだろ」
間違いなくマウントを取りたがりますよね。
サトシが勝っていても、恐らくマウントを取っていたのではないでしょうか。

これまで徹底的なアンチテーゼとして描かれてきたシンジ。

考えさせられるものはありました。






次にサトシとシンジが対峙するのはシンオウリーグです。ベスト8をかけた戦いです。

これがとても面白いのです。

シンジはサトシのバトルや手持ちを冷静に分析してサトシに有効なポケモンを選択します。
計画を立てて、シュミレーションでテストを行い、分析して、対サトシの練習をします。
けテぶれの先取りです。
けテぶれの創始者はシンジでした。
ただし、切り札のエレキブル(ヒコザルをいじめていた)は残留スタメン入りです。

サトシは前回のフルバトルでシンジに負けた6匹をそのまま選択しました。

切り札であるアイツ

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も呼び戻していたのですが。
その手持ちが

シンジに値踏みされゲットすらされなかったムックルから進化したムクホークADHDグライガーが進化したグライオン。そして、捨てられたヒコザルから進化したモウカザルがさらに進化したゴウカザル。お馴染みピカチュウもスタメンです。

バトルではシンジはシンジらしい、先に出る2体を犠牲にサトシのポケモンを分析するという合理的な戦法に加えて、サトシの編み出したカウンターシールドという戦法を取り入れるなどクレバーな戦い方でサトシを翻弄します。

教員が一番苦手なことですね。
苦手な奴のいいところを真似する。
実に合理的です。

しかしサトシもシンジのやり方を全否定するようなことはしません。シンジを悪と決めつけず、その強さを打ち破るために様々な策略を練ります。

これも教員はできていませんね。
アイツのやり方が気に入らない。
だからやめさせる。ではなく、認めた上でそれよりも自分のやり方を高め、よりよい指導を目指す。
どうしても気に入らないものを文句を言ってやめさせようとする我々はサトシから学ばなければなりませんね。

序盤は互角と見せかけ、シンジの策略にはまったサトシ。中盤は前回同様圧倒されます。しかしピカチュウの奮闘によりやや持ち直します。
が、ピカチュウが力尽きるとサトシの手持ちは満身創痍のゴウカザルのみ。シンジはほぼフルパワーのエレキブルが残ります。

そして、やはりエレキブルが勝ちます。

しかし倒れたゴウカザルエレキブルは必要に挑発します。シンジも同様です。

「どうした、お前の力はその程度だったのか」

審判がバトル終了を宣告する直前。
ゴウカザルが立ち上がりました。

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まるで孫悟飯です。

で、名曲タイプワイルドを背にゴウカザルエレキブルを倒します。

ゴウカザルはシンジの元へ。

「どうだ、強くなっただろ」

と、言わんばかりの誇示。

シンジは
「強く…」

と呟き、言葉を飲み込みます。

言いかけたところでゴウカザルは倒れてしまいます。

自分の元で開花しなかった才能を開花させたゴウカザルを心の底から認める心意気。

自分のクラスで活躍できなかった問題児が、嫌いな奴のクラスで華開いた時、その子のことを認める度量は我々には果たしてあるのでしょうか。

そして

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またバトルしようなー。

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シンジは無言で右手を上げて答えます。


互いを罵倒し、認めようとしなかった前半。
しかし、違いを認め合い、相手のよさを知った上で自分を高めた後半。

サトシもシンジの関係に言葉はありませんでした。

私は当時、普通に子ども向けの割に面白いなあ。と、思って見ていましたが。ここには我々の足りないものがたくさん詰まっている。そしてわかり合えなくても認め合うことができるということを、今思うと教えてくれたように思えます。

子どもたちはどう感じ取っているのでしょうか。
よくわかりません。
でも、この物語には大人たちに対する痛烈な皮肉が込められているような気がしました。

憎み合う負のエネルギーよりも、それを認め乗り越えようとする正のエネルギーは強い。
だから、多様性は必要なのではないでしょうか。

そろそろ新学期ですね。

私もあの人や、あの人をシンジだと思って、憎むのではなく認めることで自分を高めて行きたいと思います。

018 ポケモンDPから学ぶ多様性の定義 Part1

夏休みもそろそろ終わりですね。

ところでみなさん
ポケモン」と言えば何をイメージしますか?
子どもの時に流行ったゲーム、アニメ。
最近増えすぎて何匹だかわからない。
ポケモンGOが話題。色々ありますが、多かれ少なかれ皆さんの生活の中でポケモンという情報が生活の中に入ってくることはあったかと思います。

私がポケモン、いやポケモンアニメにハマったのは大学2年生の時です。
小学生の時はデジモンアドベンチャーモンスターファームなど、もう少し殺伐とした冒険物語が好きな刷れた悪ガキだったので、やっていれば見るけど程度のものでした。
ほのぼのとした雰囲気、お約束のロケット団、かわいいキャラクター。
ファミリー向けのアニメという印象が強いポケモンですが、実は一時だけ、雰囲気を残しつつも作風を大きく変えた時期がありました。

ポケットモンスター ダイヤモンド&パール(以下DPと記載)。

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サトシのは多くのライバルトレーナーと出会い切磋琢磨してきました。

例えばシゲル
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サトシを小馬鹿にしつつ、でも良き友だちのような存在でありました。

しかし、ここで登場したライバルは違います。
サトシとは真逆の価値観をもったトレーナー

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シンジが登場します。

シンジとサトシの出会いはムックル捕獲についての価値観です。シンジは無数に現れた野生のムックルで一番強い個体をゲットします。
それを見たサトシは強さだけでゲットするポケモンを決めるのはどうなんだと、突っかかりバトルになります。

ご存じの通りポケモンを友だちのように慕い、信頼するサトシ。

シンジはバトルの中で捕獲したムックルが期待に沿う個体ではなかったとしてその場で逃がします。まさにキャッチ&リリース。

また、バトルに続いて登場したのがヒコザルです。
ヒコザル、見た目の割に大健闘。素早い立ち回りでサトシに実力を見せつけますが敗北。
その際にシンジは「使えない」と吐き捨てます。
サトシは怒り心頭です。

互いに1体を残し、サトシがピカチュウを。シンジがエレキッドを繰り出します。
最終的には引き分けに終わるのですが、ここで二人はお互いに最悪の印象を抱きながら別れます。

シンジは究極の合理主義者なのです。

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このようにDPは
ポケモンとの友情や信頼を大切にするサトシと
超合理主義的トレーナーシンジの対立という構図で幕を開けていくのです。
シンジに一切ギャグ要素はありません。
ポケモンシリーズの雰囲気としては異質です。

シンジは毎話に登場するわけではありませんが、度々衝撃的な登場の仕方をします。

(ジムリーダー戦で活躍できなかったマリルリを見ず知らずのギャラリーの少年をあげてしまうなどサトシが絶対にやらなさそうなことを繰り返し行います。)

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度々小競り合いを行う両者ですが
この後2人に決定的な出来事が起こります。

とある街のダブルバトル大会(二人のトレーナーがチームを組んで一匹ずつ出しあって戦う)で偶然にもサトシもシンジはパートナーになってしまいます。

何とかチームバトルをしようとするサトシですが、そこでもサトシとシンジの価値観の違いがぶつかります。

決定的だったのはこのあと。
シンジが前述のヒコザルに無茶な指示を出します。
捨て身、それはまるでヒコザルをわざと傷付けようとしているかのような不可解な指示です。
サトシは止めるように言いますが、一切シンジは聞く耳をもちません。

結局力を発揮することができなかったヒコザル
そんなヒコザルを、シンジは夜もトレーニングを課します。他の手持ちポケモンに技を出すように命令し、徹底的にヒコザルを痛め付けます。
ロケット団ニャースも目に涙を浮かべる程の悲惨な光景。おいおいテレ東7時の枠だぜ。

しかし、シンジは当て付けでヒコザルにこのようなことを行ったわけではありませんでした。
このヒコザル、過去にゴローンの群れに襲われ絶体絶命の時にとてつもない力「もうか」を発動したことがあるそうです。
いわゆる孫悟飯体質のようです。

シンジはシンジなりにヒコザルの力を引き出そうとしているのです。

そして翌日、ダブルバトル決勝。
シンジはここでも連日の疲れが残るヒコザルを繰り出し、無茶な命令を繰り返します。

その光景を見て我慢ならないサトシ

なんと、ヒコザルに指示を出します!

アドラーもびっくりですね。

ヒコザルも条件反射のようにサトシの命令通り動き、これまでにないような動きを見せて活躍。ダブルバトル大会は皮肉にもチームワークの欠片もないサトシ&シンジチームの優勝に終わります。

試合後、申し訳なさそうにシンジの所に戻るヒコザル

シンジはヒコザルを受け入れませんでした。

こうしてシンジはヒコザルを捨てました。

そんなヒコザルに救い手を差し伸べたのはサトシでした。

続きはまた後日。

第一回 Agola開催しました。

都内某所にて9時~11時 Agola開催しました。

メンバーは6名
Twitterアカウント(何故かはてなブログにいじわるされて元のツイートが貼り付けられませんでした)

https://twitter.com/wakate_kyouyu/status/1031857709446922240?s=19

見出しに分けて内容を紹介していきます。


ま まーた先生 に にっせん先生 N N先生
ト トビ先生 ば なるさわばしこ先生 A わい

事実と異なる点もあるかもしれませぬ。
あくまで私の解釈ですのでご容赦ください。

● 自分のクラスの自慢は何だ!

A「やっぱり掃除ですかね。10分掃除!とにかく仕事が早い!早く動けばそれだけ自分達で使える自由な時間が増える。メリットを提示することによって内在的価値観から自発的に掃除を頑張るようになりますね。」

ま「私は係と当番を分けています。やらなければいけない当番活動とは別に、何をしてもいい係を作った。その分、子どもたちがやりたいことをみ見つけて進んでやるようになりました!新聞係なんかは専用の用紙をつくってあげたり、もちろんある程度手を貸してあげることも必要ですが…解散も結成も自由。但し一言声をかけるようには言っています」

N「一週間や二週間で席替えをします。方式は対面式です。新しい子とかかわる必然性、そして席替えそのものの価値が子どもたちの中で軽くなる。色んな友だちと、色んな座席で学ぶことによってどの席が集中できるのかを自分でわかってほしい。但し、好きなもの同士ばかりにならないように意図を話しておく必要があります。」

に「私は班長制を敷いています。班ごとに並んだり、掃除の反省会を班長を中心にやっています。正直名前ばかりの班長になってしまっているところもあるけれど、経験することで班の友たちの動きを見たり、気にしたりする子が増えてきた。経験してわかることってたくさんあると思うんです。」

ば「私もそれは共感します。飲み会の幹事をやると、小銭とか釣り銭とか色々大変ですよね。だから一度幹事をやったことのある人ってすごく気を使ってくれたりするんですよね。(話は戻って)私のクラスは勉強は苦手な子は多いんですけど、とにかく笑顔が多いんですよね。自分のしてしまった悪いことを気軽に言い合える雰囲気を作っています。先程の立場を人が育てるではないのですが、話しやすい雰囲気とリーダーになった子や、その周りの子をフォローできる子も増えてきました。」

ト「ジュニアバスケのコーチをやっていく中で学んだこと、体育を軸にしています。人間は才能の良し悪しもあると思うのですが、正しい体の使い方をすればある程度はスポーツはできると思うんです。それを子どもたちに伝えています。勉強も同じです、正しい勉強の仕方をすればある程度は力は伸びると思っています。子どもたちがそれを知れば、できない…何故てできないのか…どうすればできるのか、と子どもが進んで学ぶようになるのではないかと思っています。」



このような具合で始まり
様々な議論、共感がありました。

ひょっとしたらAgolaの様子を某企業が記事にしてくださるやもしれませぬ。

今回改めて思ったのは
二名の初任者から学ぶことがとても多かったということでした。

現場では初任者は謙虚であることを求められるので自分のクラスの成功例や実践を嬉々として語る機会など皆無なわけですが、聞けば聞くほど2名の初任者がもっていて、私にない部分が身に染みて伝わってきました。

なるさわばしこ先生はとにかく賢く、脳みそに保持できる情報量が多い。アウトプットの達人でした。私は失礼ながら途中で頭から湯気を出しました。

まーた先生は落ち着いたみんなの兄貴のような存在で、子どものやる気を引き出す達人です。特殊な環境に身を置いてらっしゃるので、ならではのよさなどポジティブな発信が多く勇気づけられました。

N先生は私と慣性が似ていました。一つ一つの実践に根拠があるので、自分のクラスに置き換えて考えることができました。

次回Agola 9月に都内某所にて行います。
気軽にご参加ください。

017 妄想!!校務文掌改革!!

おはようございます。

2日続けてblogを更新できるなんて夏ですね。

みなさん、今の給料には満足していますか?
現在我々は大体8:30~17:00 1時間の休憩を含んだ6時間半の労働に対する賃金を受け取っております。
そして、熱心な教員は給料に関係しない朝早くからの労働、夜遅くの労働、時には休日出勤を好き好んで自主的に行っていることとなっております。

しかし現実、このような解釈でよろしいでしょうか?いけませんよね。

実態はとても8:30~17:00では仕事は収まらない。
とても休憩なんて取れない。与えられた時間を大きく越えて仕事をさせられていることがザラです。
その上、教員には同調圧力があります。
何故か「こんな大変な仕事をさせられて許せぬ」ではなく、「私がこんな大変な仕事をさせられているのに、楽をしている人がいて許せぬ!」という、手の取り合いよりも足の引っ張り合いを好む人が多数存在します。

そんな中で
「いつも早く帰って何してるの?」
「本当に仕事、終わってる?」
なんて、プレッシャーをかけられることも。

その件はWATCHA TOKYOでも話をしたことですが記事にもまとめているのでご覧ください。

が、立ち返るべきはそこではなく
我々はそもそも何のために働いているのか。

私は「生活のため」と即答します。
働き賃金を得ることで、生活を維持できます。
よく「仕事をなめてる」、「社会人として~」、「子どものことを~」と支離滅裂なことを言われますが、違いますね。まずは自分なんですよ。
自分が健康で文化的なある程度の潤沢のある人生、生活を送るために、お金をもらうために教員という選択をしたことを忘れてはいけません。
その中で、よりお金が多くもらえる仕事ではなく教員を選択したのは、自分の能力や適正、趣向を分析した結果です。
だから、教員を選んだからと言って自分の時間を仕事の犠牲にしなくてもよいのです。

私の元に来たリプライで衝撃的なものを紹介します。




我々は仕事に時間を捧げているのではない。
お金を稼ぐために仕事をしているのだ。

ボランティアは労働=お金をタダで配っているようなものです。
ボランティアは善ではありません。
縁日で屋台がたくさん出ている中で、たこ焼きを無料で配ったらどうでしょうか。
代金をもらって営業しているたこ焼き屋の営業妨害もいいところ、その上利用者からは「ぼったくり」と言われるでしょう。

今、教員はそのいう状態なのです。
労働のタダ配り、営業妨害だらけなのです。

今一度我々は労働に賃金が発生する。
労働には価値があるということを認識すべきです。








そんな中で改革します。

校務文掌をオークション形式で決めます!

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学年主任 年収+20万
教科主任 年収+5万
児童指導、研修主任、運動会主任 年収+10万
高学年担任 年収+5万

などなど。
小さな仕事にもインセンティブがつくようになります。

その対価として『特給法?給特法?』
雀の涙量を放棄します。

稼ぐために若手も必死です。
体育主任のインセンティブが欲しいから、そのサポートにつくもよし。
逆にゆるく仕事をしたい人はインセンティブを選択しないという方法もあり、家庭を優先とした働き方もできます。

残業している人は金を稼ぐためにやっているわけだから、これで早く帰る人にも批判は集まりません。

いくら働いても給料は変わらない。
だからやる気がなくなる。
でも、誰かがやらなければいけないという正義感から誰かがする。
している誰かがやらない人の悪く言う。
職場の雰囲気が悪くなる。

そんな負のスパイラルはもうやめましょう。

みなさんお金のために働きましょう。

労働には価値があります。
学校のために嫌々頑張っているあなた。
実は職場の労働生産性を著しく下げている可能性があるよと水を差させてください。

金のために働くことは汚いことではありません。

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